<講師の言葉>
学校は、子どもたちの発達課題に対応し、子どもたちの社会化を助ける場である。そこで教育に役立つカウンセリングが求められるようになった。すなわち教育とカウンセリングをドッキングさせた「教育カウンセリング」が提唱される時代が来た。教育カウンセリングは学校生活で誰もが通過する発達課題(学業、進路、性格、人間関係)を乗り越えて成長するのを援助する方法である。
ここでいう「新しい」とは「伝統的なカウンセリングとは異なる」という意味である。すなわちロジャーズ理論を代表とする「受身的」なカウンセリングではないという意味である。 この伝統的な方法は教育の場ではそのまま使いにくい。パーソナリティの変容にウェイトをおかず「問題解決」「予防」「開発」にウェートをおく教育カウンセリングでは「受身」よりは「能動的」に、「傾聴方式」よりは「ワークショップ」方式にウェイトをおいたカウンセリングの方が実用的ではないか、と提案したい。(國分康孝)
教育カウンセリングでは受容と共感を主軸にした傾聴的姿勢だけでは不充分である。グループをまとめて、動かしつつ、ひとりひとりをケアする能力、すなわちリーダーシップが必要である。これが教育者と心理療法家の違いである。子どもは集団生活を通して、自己開示、自己主張、自己発見、他者理解、トレランス、社会性を身につけるわけであるから、教育機能の豊かなグループをつくるのは教育者にとって大事な能力である。この能力をリーダーシップという。(國分康孝)
コミュニケーションには2種類ある。マスコミュニケーションと心理コミュニケーションである。後者は特定個人や特定グループと言語および非言語を用いてあるメッセージを共有しようと試みることである。そのねらいは人を癒して育てることにある。それゆえ、教育者にとって心理コミュニケーションの原理と技法の学習は不可欠である。特に強調したいコミュニケーションの能力は、構成的グループエンカウンターにおけるインストラクションと介入の際の話し方、授業やガイダンスのときのパブリックスピーチの仕方である。(國分康孝)